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インドトイレ事情【インドの風習?その1】

よく聞かれる質問があります。

「トイレの時は本当に左手で洗うんですか?」

「食事の時は本当に右手だけで食べるんですか?」

…日本人含め、外国から来られる方の定番の質問です。


まず一番目の質問に関してはその通り、左手で洗います。

どうやって?

と詳しく聞かれるのでジェスチャーでデモをする事もしばしございます。

二番目の質問に対しては右手で食べるのが普通です。
でも最近のインド人はそうでもなかったり、両手を使ってローティをちぎる人もいます。

ヒマーチャルの場合は左手にまだ手のつけていないローティを握り締め、食べるのは右手です。

アシュラムでいいますと特に口につけた右手をまた不浄としますので、右手で食べている間は物を取るにも必ず左手をつかいます。この時は左手の方が美しくなるのです。

…とまあ、

外国の人からしますと色々な不思議な習慣ですが、インド人も近頃は、
新しいスタイルの数々に戸惑っているのが
何とも面白いのでございます。


例えば

洋式トイレ。

これを見た瞬間に

「あれーっ」

と嘆くインド人もまだ多いものです。

正直私もインドにいますとトイレはもっぱら洋式よりもインド式の方が使いやすく、楽で汚くない気が致します。

何故かともうしますと、インド人のまだ多くの人がトイレットペーパーを使う習慣にありません。
トイレ自体、紙を流せる様になっていませんから、大きいものを拭いても別のバケツに入れなくてはならない…というのも、それを後々処理する人の事を考えると、気持ちが悪い物でございます…。

ですから一応インドのトイレにはウォシュレットが付いているのですが、簡易な感じと、「的」を得られない感じ、そして衛生的に使うのを私も拒みたいものです・・・

水圧は横の簡易なダイアルを回すものですから場所によっては勢いがよかったり、悪かったり。
またノズルが変な方向を向いているものですから、座る位置を微妙に変えないとあちこち水びたしになってしまったり…。

何とも、使いにくいのでございます。


ヒマーチャルから来る親族など特に。
トイレ自体普段使わない人が多いものですから、洋式となるとパニック寸前です。

だから我が家に来てもトイレにわざわざ裏のジャングルに朝からお出かけする人も続出します。

また以前は洋式トイレの便座が割れる。。。という事件が連発したものです。
使い方が分からず、便座シートの上に足を乗せてしゃがんでするからです。

また、ウォシュレットが使い慣れないので、手桶で洗おうと試みたからか、そこらじゅう水浸しだけでなく、ご本人も水浸し…という事も多くあります。

今のリシケーシュの自宅に義母が来た時。
義母がトイレの使い方が分からないというのでレクチャーする事になりました。

…が、この義母さん、元々ヒンディーを殆ど喋れないので私との会話では誤解のすれ違い多く、トイレレクチャーも大変なすれ違いをしました。

我が家のウォシュレットはハンドシャワータイプなので、便座の近くにあるハンドシャワーを持ってレバーを押すと水が出て来ます。これは便器に付いているウォシュレットよりは使いやすいのですが、

「このレバーを押して洗うんだよ」

と義母に説明しましたところ…

シャっ!シャっ!シャっ!!

と壁に向けてシャワー打つお義母さん。


?何してんだろう?

と思いましたところ、
便器の中を見て

「流れない」

らしきヒマーチャル語で言います。


「!!??」


これは水洗のボタンじゃないんですけれどっ!!??


ウォシュレット…

が通じていません。


そしてじゃあ水洗はここのボタンね…と
便器上のタンクについている上から押す式の場所を教えますと

チョン、チョン。


…とボタンをつついています。

あの。

それでは流れませんが…。

元々トイレで用を足す様なお義母さんではありませんから、
それは恐る、恐るでございます…。


その後ネパールから来て我が家に下宿する事となった女子生徒2人も一緒に生活し始めて数日後に
恥ずかしそうに私にトイレの使い方の確認をします。

このハンドシャワーは何の為??


って、恐る、恐る聞きますから。

「何だと思う?」

と聞いてみますと

「体洗うシャワーじゃないよね?」

と恐る、恐る聞いてきます。

「体洗うものだよ」

と私が冗談を言いましたら

「きゃああ〜!」

と恥ずかしそうにわめきます。

ちょっと楽しかったです。


てな訳で、インド人にとって洋式トイレはまだまだ困難なもの。
好んで使う人も少ないです。

自宅のトイレは出来るだけ座るのに心地よい様にと綺麗にしていますが、
それでも共同生活の中ですから、私がトイレに行く度にシートを水洗いした上で一度ふき取らないといけません。

外の洋式トイレときたら。

そんな使い方の分からないインド人によって汚されたり、壊されたりと、
普通に気持ちよく使えるところは高級ホテルでもない限り殆どなく。。。

私だって外でトイレに行って洋式だった時は思わず

「あれ〜っ」

と嘆きます。

座るのが気持ち悪いものですから、中腰で用を足す技を見につけましたが。

大きい時のおつりが来た時にはショックが大きいものでございます。

なぜならば。

水洗が壊れている事が多く、
溜まっているからです。


ため息だらけの
インドトイレ事情でございました。


 
| インドの風習? | 00:36 | - | - |

自分を持ってこその支援活動に参加してください!【フェアトレード企画日記】

本当の問題解決、
本当の必要な支援、
本当に活用出来る寄付。

色々な事を考えてこのフェアトレード企画を動かしていかなくてはなりません。
そうした時にやはり思うのは

教育の大切さ。

私達のアシュラムをそんな場に活用して欲しいと願います。
だから今後の動きとして目指すところは
教育支援。

環境の教育
医療の教育
道徳の教育

そこに繋がる活動を起こしていきたいです。

私達の小さな、小さなアシュラムが
ヴェーダの知恵を正しく伝えるという使命を持って。

正しくというのは
社会で使える知恵になるように。

それはインド人に対してだけでなく、
支援する側にも大切な事。

自立する事。

その上で

順応する事。

それが大切だと思うのです。

インド人もこの広い土地の中、
狭い、狭い教育で
自分というものを持てません。

危険なのはインドだけでないはずです。
でもインドは危険だから。
と、脅して、押さえつけるから
世界を知らないで人は育ちます。 

世界を知らない人を作るから
危険な社会にもなるのにね。

性的にも押さえつけられているから
爆発してしまうというのもある。

アシュラムが神聖な場所で独身生活を守る聖人が住んでいる。。。

本当にそう思いますか?

主人はリシケーシュのアシュラムの多くで
聖人にセクハラを受けて逃げて転々としていました。

抑え付ける事が教育ではないのです。

自分の意見というのが無い。
自分で見た事が無いから。

人は人の言う事を鵜呑みにします。

皆は自分で見たと思っているけれど
誰かから聞いた評判を元に何事も見ていると
自分の目では見ていません。

聞いたものを見ているので
見るものに色眼鏡をかけています。

それは日本人も同じだと思います。

どの国の人でも人は、
その自分の目で中々物事を見られないから
見せてくれる人を求めてさまよっています。

何故でしょう。

自分の事を自分で決められないのは
インド人だけでないのです。

あの人がアレがいいと言ったから。
見てみる。
買ってみる。
食べてみる。

自分はどう思うのか知りません。

人がいいと言えばいいし。

人が悪いと言えば悪くなります。

それに流されているから
自分を生きられないのです。

本当の魅力はそういう自分の力から生まれます。

内側から魅力に溢れる人は
それを見せようとしていません。

自分を生きているだけです。

それは時に他人と合わないかもしれません。

でもそれに自信がある人は
それにも困りません。

他人は他人できちんと尊重しながらも
自分を持っているからです。

誰かがやったという例が無いと動けないというのならば、
人類は成長しなかったでしょう。

あなたが始めての人でいいのです。

何事も経験。

経験しないと知識にはなりません。

知識のヨーガは
この経験を持つ事をいいます。

本を読んだり、人の名前を知る事ではありません。

勿論、
資格を取る事でもありません。

そんな世の中に流されないで

自分。

自立

をした上で、
社会で生きられると素晴らしいです。

ですから、本当のこの企画の意味には

支援される側だけでなく、
支援する側にも成長の為、
経験の為。
学びの為であって欲しいのです。

人と調和しながら。

自分を表現できる美しさ。

一人ひとりがアーティスト。

そう思ってこの活動に参加してくれるスタッフを募集しています。

あなた

力に溢れるから

誰かも助けられる。

自分を大切に出来る支援を私達と一緒にしませんか?

SomAditya Fair Trade Project.
スタッフ、ボランティア募集はこちら。
somaditya@hotmail.co.jp
 
| フェアトレード企画日記 | 16:45 | - | - |

アシュラムのあり方、ヴィリンダヴァンで思う…。【フェアトレード企画日記】

アシュラム、お寺を持つという事は
一体どういう事であるのか?

私達は深く考えさせられます。

実は数日前から私達の元に、ネパールの少女2人が住み込みで下宿しています。
私達からインド音楽やインド舞踊を習いに弟子入り修行です。
ネパールの田舎を出て来て私たちと寝食を共にし、私たちの身の回りの雑用をしながら、習い、学び、練習しています。

しかしこの二人の少女。

何故私達が自分たちの下に置いたかといいますと…
田舎特有の宗教観に洗脳されている匂いがプンプンしたからなんです。

まだ若い、十台の少女。

おしゃれもしたいし、歌も歌いたい。
色々食べたいし。
色々見たい。
踊りたいし、
素敵なドレスも着てみたい。

当然な事ですし、叶う事なら叶えてあげたい。

でも、彼女は聖地ヴリンダヴァンのとある聖人の所で
聖処女を守る焼印の儀式を受けており
それがいいと信じて「グルジー」のルールといっては

早朝4時から教を唱えて、
にんにく、たまねぎどころか、
人参も食べない。

何で人参を食べないの?

と聞いても
「グルジーのルールだから」

という。

人参は普通はお寺のお供物でも食べるし、
私達が祈祷断食をする時でも食べていいというサトヴィックな食べ物。

ネパール特有かな?と思ってネパール出身のヴェーダのグルジーに聞いても笑って「誰かが間違った知恵を教え込んだんだろう」と。

しかしこの少女達。

それが一番と信じ込み。
洗脳されていますから…
人参を炒めたフライパンが
自分たちの食器に触れるだけで嫌な顔をします。

彼女達もヒンドゥの信仰ですから、
ヒンドゥではそんな事聞いた事もないしと説得をしても

「グルジーのルールだから」
というのです。

もしもそんなグルジーのルールが本当にいいのであれば
ここで私達と住む事も間違いでしょう。

それが全てと思っているのであれば。
そのグルジーの元で修行をすればいいでしょう。

そう言って彼女達に
本当のダラムと社会のルールを
教える事が大切だと
私達は思ったのです。

だから彼女達を少しの期間でも置いてみようと思ったのでした。

なぜならば。

たまねぎ、にんにくは絶対に口にしない。

といっているわりには。
アチャール(漬物)を自ら好んでよく食べます。
アチャールには普通はにんにくは使用されていますから
もしもにんにくを食べないのならばアチャールも食べてはいけません。

サトヴィック(純正)なものしか食べない

といっているわりには。
ポテトチップスとか、クルクレが食べたいから買ってくれ。
といい、家にあったナムキン(スナック)は何でも
気がついたら2人で食べてしまいます。

朝4時に沐浴して教を唱えていたかと思うと
時に夜中までDVDで映画を見ていて朝は9時まで起きれません。

額に大きなティラクを毎日描いているわりには
ヒラヒラのスカートとタイとでセクシーなトップを来て
花の髪飾りをして踊っています。

市場でチョウメン(焼きソバ)が食べたいから
屋台の人にたまねぎ、にんにく抜きは勿論、
フライパンもお玉も洗って、あんたの手も洗ってから作って。
と注文。

そこまでさせるならチョウメン食べなければいいのに。

ネパール人はインド人と違って
神の知識に恵まれているのよ…と
商店先で演説。

大人達は苦笑い。

まだ子供なんですね。
自分がしたい事と
押さえつけられている事のバランスがとれないのです。

それでいいのです。
子供ですから。

でも、彼女達の問題は
私達から音楽などを習っていても
自分のグルジーが一番だから、
私達さえも不浄の人と思っているのです。

だったら習わなければいい。

と率直に私達は言いました。

ネパール出身でもカトマンドゥがどこにあるか?
すら知らない子供達が。
村にやってきてはヴィリンダヴァン聖地のとある聖人の話しを聞かされて
それが世界の最高峰だと信じて村を出て。
聖地ヴリンダヴァンで洗礼を受けたと。
世界は皆私達の下にあると信じてやまない。

私は彼女達に言いました。

「人生の中にグルジーは沢山いるものです。
いわば周りの人皆があなたのグルジーです。
グルにリスペクトするならば、全ての人にリスペクトしなさい。
あなたの人生の一番最初のグルは母親です。
尊い母親をも不浄として捨てて、何故一人のグルにこだわるのですか?
小さな子供に焼印を押す様なグルはあなたに何も教えてはくれません。
あなたを縛り付けただけです。グルは指導者です。縛りつけるものではありません。
そのグルに従う事が世界の最高峰であるのであれば、そのグルの寺を出てはいけません。
そこに一生をささげ、少女を止め、女性を止め、社会を止めて過ごすのであれば
私もあなたをリスペクトします。そんな風に人生を捨てる事は誰も中々出来ないからです。
 人生を生きている私たちの社会に出て来てもあなた達が聖人でいたいというのは
大きな間違いです。迷惑な話しです。寺から出ないで過ごしなさい。
でも、あなた達は人生を生きたい。興味に溢れているのであればどうしてそれをしないのですか?
あなたたちは若い欲に溢れている。だったら意欲を持って社会に過ごしなさい。
あなたをクマリだと常に皆からリスペクトされたいのであれば
あなたの人生は終わりです。
神に捧げて過ごしなさい。
あなたがお腹が痛いといって取った西洋の薬には動物性のものが必ず含まれます。
聖人でいたいならばそれも取ってはいけません。
修行で直しなさい。
時々チャイを飲んでは時々グルジーが外のチャイには何が入っているか分からないから飲むな、
不浄の人が作ったかもしれないから飲むなというのならば、
あなたのグルジーの寺で作られるチャイにもマーケットの砂糖を使ってはいけない。
サトウキビをかじりなさい。砂糖にはケミカルが混ざっている。純粋ではない。
でも、チャイは良き友と、仲間と、家族とならば、いつでもどこでも喜びで飲めるもの。
話しのつまみにチャイを飲みたくなるのなら、どこでもチャイを飲みなさい。
楽しみなさい。人生を。
もしもそれを望むのであれば。
人生を生きたいのであれば、人生を生きなさい。」

そういって聞かせたのは私だけでなく、
主人もそう。
彼女達の遠い親戚だという近所のネパール人の叔母さんもそう。
私達のネパール人の師匠もそう。

同じ様に皆が彼女達の成長を見守っています。

時々そのヴリンダヴァンのグルの弟子から電話が掛かってきては
彼女達を宜しく
という割には
彼女達にグルのルールを破るな、
あの人達(私達)は不浄だから食べ物に気をつけろと言って聞かせている。

混乱してもしょうがない。
まだ子供ですから。

大人がそんなガイダンスをして
聖人という名の犠牲を作っているのです。

小さい頃から洗脳をして
誇り高い、
しかし、
教養の低い人間を作っているのです。

もしも彼女達がグルジールールに従って生きたいというのならばそれでいいし、
そうなったらヴリンダヴァンの寺に返そうと思いますし。
もしも人生を生きたいというのならば
人生を応援してあげたいと。

私達は思って彼女達を置いています。

その彼女達を10日間叔母のところに預けて今聖地ヴリンダヴァンの街中。

街のいたるところに掲げられるバグワットカタ(神話を語る行事)の看板に
まだ十台半ばの少女の聖人の写真、美しい笑顔に大きなティラックを見て思う。

この少女がここまで、つまりカタを行えるアチャーリーになるまでは
きっととても幼い頃からの宗教的教育の下なんだろう。
そうしたらきっと彼女は幼い頃のわがままも、友達との愛も
ヤキモチも知らず…
この先も家庭を持つ事もなく、家族の愛を離れ、伴侶や子を持つという
大きな人生の学びを持つ事もなく…

私達に何を語るというのだろう?

キャンディーを食べる事も心底望まない聖人だったならば
私もこの小さなアチャーリーをリスペクトしよう。

でも彼女の幼い笑顔が
可愛い洋服に向いたならば。
プレゼントしたいと思う。

バクティ。

心の痛みや、悪い心が人間にはあるからこそ、
この本当の意味が分かるもの。

その心が全くなかったら、
信愛を説く必要もない。

主クリシュナは
社会の中の信愛を説く。

それを教育する様なアシュラムを作りたいねと。
私達。
ヴリンダヴァンで思ったのでした。


 
| フェアトレード企画日記 | 15:10 | - | - |

宗教観、ルールは誰の為?【フェアトレード企画日記】

世界的常識、知識が無い問題もそうですが。
インド
というと

宗教。

日本人からしますと驚くほど宗教心強く、無宗教を名乗る日本人にはカルチャーショック的な事も多くあるでしょう。

インド人からしたら日本人の「無宗教」っていうのも、相当カルチャーショックですけれどね。

日本人の宗教観が無いにしろ、宗教に対する偏見があるくらい、何が「正しいのか?」という自分で考える力がある方なんだと思います。

インドは?
といいますと。

生まれながらにして「ヒンドゥー」

生まれながらにして「ムスリム」

そしてそのまま教育を受けるから

「私はヒンドゥー」

という様な宗教観。


正直そんなところです。

本当にその宗教のあり方、意味をインド人皆が知っているかといいますと…
そうでもないんだなと思います。

ヨーガでも、宗教を持つ事、つまり導きを持つ事は大切だといいます。

しかし、その宗教で社会を閉鎖してはいけません。

他の国にもあるでしょうが、
ヒンドゥーが世界を作ったのだから、ヒンドゥーが正しい…。
他は間違い。

的な

そんな風に思ってしまっているところが多々あります。

つまり、閉鎖的で他を受け入れない。
他を批判する為の宗教になりがちなのは
人間特有の心理からでしょうか?

しかし私が学んだヒンドゥーは
どの国のどの世代のどんな人にも必要な
社会を生きる為の知恵、道徳が多く含まれているのです。

だから素晴らしいとは思いますが、
じゃあそれ以外の宗教は間違いかといいますと

全然そんなことはないのです。

ヒンドゥーからしましたら
世の中はヒンドゥーの神々によって作られたのだから
世界はインドから成っている

と。

まあ、そうだとしましょう。

知恵の書ヴェーダは確かに凄い。

でも今、現世のインド人が皆世界の中心かというと

そんな事があってはなりません…。

普通一般のインド人は表向き、それほどその宗教的差別感を見せはしません。
ある程度のモラルを知ったからです。

しかし
いざとなると心の底でのその差別が態度に出る事が多く、
私なんかから見ていると心痛むものでございます。

普通一般でない…といいますか、アシュラムの住人、スワミ、マハラジ、アチャーリーなんて言われているヒンドゥの宗教家なんかは態度があからさまであって、
女性に触れさせる事も出来ないとか、
あなたの手で触ったご飯は食べないとか。

ルールが過剰になりすぎますと
人を嫌な気分にさせるだけでございます。

私もアシュラムの一主人として、
アシュラムに住んでいる時のルールは守ります。

以前もお話ししましたが、
とてもシチメンドクサイものなのです。

しかし、祈祷をするのが私達の仕事でもあるのですから
祈祷をする場でそのルールに従う事も
以前お話しした様に大切なのでございます。


まんじゅうを作る機械があったとして
その機会を動かす事は誰でも出来るけれど、
まんじゅうを作る素材をケチして
悪い粉やあんを使ったら
まんじゅうは出来たけれど美味しくなかった。


そんな意味で仕事には仕事のルールがあるのです。

でも、ルールはどこまでの環境で守るべきか。

それをわきまえるのも社会のルール。

例えば

仕事で皆さん、制服や作業服を着ますよね。

それを自宅でも、
寝るときでも、
パーティでも着ますか?


ヒンドゥーやアシュラムの過剰なルールに素朴な疑問を持ったものですから、これまた恐れ多くも私達のヴェーダの師匠に聞いてみました。

率直に。
「人生の中で、どこまでルールに従いアシュラムの人とするのですか?」

師匠曰く。

「あたなも私もアシュラムの人の前に一女性、一男性。そして母親、父親。社会的な交流の中にもあなたはあり、あなたが社会で生きるからこそ助けられる人もいることを忘れてはいけない。アシュラムのルール、祈祷時のルールは大切だ。最低限のルールは自分が守れるところまでしっかり守って、社会の中の小さな順応にも身を任せればいい。しかし、自ら好んでアシュラムのルールを守れない生活になるか、最低限も守れないのであれば、アシュラムの人をやめればいい。それだけだ。」

ヴェーダの真髄を伝える彼だって社会の人。

アシュラムではたまねぎ、にんにく、マルカ豆、なす…等を食べないだとか
右手で食べ、その手で他の物に触れないだとか、
他の人が口にしたものを食べないだとか…。
他にも色々ありますが、師匠だって祈祷に呼ばれてインド国内、東も西も南も北の果ても行かなくてはならない。

道中。インドでは3日も4日も掛かる。

さすがに肉、魚、卵は口にはしないものの、
ありつけた食事はありがたく頂くという。

たまねぎ、にんにくを避けていたら朝食にもありつけない。

師匠曰く。

「絶対的なニヤマ(ルール)を実践したいのであれば、そのサント(聖人)は外へ出るべきではない。」

師匠は社会の中で生きている。

アーユルヴェーダ的に言うと食べ物に良い悪いもなく、自分の食べ方次第だという事。

だから師匠は社会の為に祈祷時、アシュラムにいる時はルールを持つが
家族の中、自分が行くべき社会の中では
最低限のルール以外は社会のルールに従うという。


正しいと思う。

国が違うだけでも食の種類も意識も大きく変わる。

私がここで毎日「インドのごはんは嫌だ」と日本食しか食べないのであれば
ここインドにいたって家から出ない方がいい。

外に出たいならば自分の食べられる範囲でありがたく食べ物を頂く事が出来る。

もしも私が

「インドの食事は大嫌い!なんて下品な食事なんだ!」

とインドのレストランでわめくのならば。

レストランに行かなければいい。


レストランに行ったならば私たちは
「塩分少な目で唐辛子抜きで作ってもらえますか?」

と先に聞く。

もしそれが無理となったら
そのレストランで食べなければいいのだし、

そのレストランしかなかったら
今日は唐辛子料理をありがたく楽しもう

とする。


そういう事なのです。


問題なのは

「聖人、アシュラムの人の食事が無いなんてなんてレストランだっ!」

と、社会人を汚い様に言い、自分が正しい、美しい存在だと主張する聖人。


だから、聖人になる事を強く望むのならば、社会に降りて来てはいけないのです。
しかし、その聖人は社会を非難する事はないでしょう。


社会の中で教えを説く聖人だったらその人は聖人ではないのです。
社会人なのです。

社会を生きていない人が社会の事を説けないからです。

リタイアしたとしても社会について説くのは社会人です。

社会のルールというのが私達のルール。
その中で自分の最低限のルールを持ち、
自分自身で自分がどこにいるべきか、
何をするべきか、
どんな格好をし
どんなものを食べるか?

をしっかり自分で選ぶべきなのです。


ニヤマ(ルール)は
単に
言われたから
するものでもありません。

自分が何であるか?

それに従っていればいいのです。

インド人の場合。

自分の意思でなく、
曲がった教育がそのルールを偏見の原因にしていて
他を非難する事になっていまっている事が
とても多いというのが問題です。

主クリシュナの教えは

決して聖人を作り出すものではなかったのにな。

社会人をつくり、尊重しあえる社会を作るものである。

と、聖地ヴリンダヴァンにて思うのでした…。
| フェアトレード企画日記 | 13:49 | - | - |

物資を安全に送るには?【フェアトレード企画日記15】

さて、この企画の中でインドでリサイクルショップをするにしても物資を日本からインドへ運ぶ最善のルートを探さなくてはなりません。これにはメンバーでなくとも、色んな方にご協力いただければと思います。

 

 

…といいますのも!

 

物資を日本から郵送すると高くついてしまうだけではなく、盗難の問題もあるのです。

 

 

盗難って???

 

インドで荷物を受けとる時には殆どやられます。

 

いったい、どこで盗難が行われているのでしょう?

 

インドから日本

 

盗難というよりも

 

破損

 

が多いのは仕方ないです。

 

 

それでも日本で届いた時には破損していたら日本の郵便局の人がわざわざ丁寧にお詫びに来てくれたものでした。

粗品の郵便ポスト貯金箱までもって来て。

苦情を言われると思ったのか2人がかりで詫びに来られたのですが…

 

 

大丈夫!あんたのせいじゃない事は分かってますっ!

インドで破損に決まってるじゃああんっ!!

 

日本の郵便局の方、ご心労おかけします。

 

 

さて、それよりも深刻なのは日本〜インドへの荷物。

 

ひどい話しはいっぱいあります。

 

ヒマーチャルのアシュラムへ日本から送られて来たものでは

 

ネット通販で買った布団カバー、シーツのセットを2組そのまま!

 

 

…これは相当悔しかったですが、もっとショックだったのは

 

義理の妹と一緒にネットでランランと見てお買い物した…

 

楽しみに、楽しみにしていた…

 

パンツ10枚組セット…。

 

 

みごとにやられました。

 

 

だって、インドで買うパンツ…

1度の洗濯でボロボロになるものですから。

 

義理の妹に「日本のクオリティーを見せてやる」

 

と、いきがって5枚ずつ半分しようね〜。

 

と、注文してそれはそれは楽しみにしていたのでした。

 

主人のボクサーパンツ10枚組は無事届いたのにっ!?

 

 

 

悔しいものです。

 

絶対に選んでやってます!

 

いったいどこで!?

 

 

思えばリシケーシュへ日本から完全に引っ越してきた時も、あまりに荷重が多かったので4箱ほどを船便で送ったのですが…。

まず気がついたのが マリリンモンローのDVD!!

 

どこのおやじがっ!?

 

そして洗濯ピンチ付きハンガーセット…

 

と、実用的でインドであまりいい質がないもの。

 

分かりやすい。

 

 

その時はあまりに多くの荷物だったので何を盗難されたのか気がつくまで数日かかったのですが、

 

それにしても…。

 

 

どこでどいつが盗ってるんだっ!?

 

 

郵便局にクレームをいいましても…

 

「俺はしらん」

 

のいってんばりで。

 

 

本当に知らんのかもしれないけれど。

 

 

日本の郵便局とは大違いじゃわいっ!

ポスト君貯金箱の一つでも見せてくれってんだいっ!

 

 

相変わらず。こんな問題でもトホホな負け通しなでございます。

 

 

聞いた話しではもっとひどいのが食べ物。

 

日本のスナック菓子なんかが恋しくて実家の親に送ってもらった…っていう人がいたのですが、

スナック菓子はふうを開けられて半分くらい食べられていたそうな…

 

 

気持ち悪い!

 

だったら全部持っていけっての!

 

 

チョコレートには半分かじった歯形がついて箱に戻されていたとか…

 

 

単なる嫌がらせなのかっ???

 

 

 

非常識極まりない事が平気で起こっているのでございます…。

 

 

 

日本からの荷物だから?

 

 

かと思いきや先日…

 

 

学校のトレーニングで遠いゴアに行っている義理の妹にあれこれと荷物を送ってあげようと、リシケーシュ→ゴアで郵送したのでしたがそれもまた…

 

 

やられていました。

 

 

パンジャビドレスと言われているインドの上下セットの服があるのですが。

サルワール(女性のだぼっとしたズボン)とカミーズ(女性の長い丈のシャツ、チュックみたいなもの)

のセットを送っていたのですが、届いた時には

一つはセットのうちサルワール(ずぼん)だけ届いて、一つはカミーズ(シャツ)だけ届いて。。。と。

役立たずなセットになってしまったとか。

 

 

これも嫌がらせの様な盗り方ですよね。

 

 

それから、楽しみにしていた故郷ヒマーチャルの実家のクルミにギー。

 

しっかり盗られていたそうです。

 

 

リシケーシュから送ったのだから…とクレームを言っても

 

 

「俺しらん」

 

 

と。

 

 

お詫びの「お」の字も知りません。

 

 

私達のプロジェクトに寄付された物資がほんとに貧しい人に盗まれるならばまだしも。

 

嫌がらせで盗られるのはもったいなさすぎですよね。

 

 

ですから、このプロジェクトのメンバーの人、またそのお知り合いにでも声を掛けてもらってインドに来られる人に荷物を運ぶご協力を願う様にもしてきたいと思います。

 

 

インドに来られる方。

 

身の回りにインドに行く予定がある人がいらっしゃる方。

 

この情報をシェアしてくださる方。

 

随時募集しております。

 

「何か出来ないかな?」

と思ってくださった方は是非以下までご連絡ください。

 

somadichayajapan@hotmail.co.jp

 

 

 

 

 

| フェアトレード企画日記 | 03:07 | - | - |

身近な問題を遠くに見上げて…【フェアトレード企画日記14】

…このフェアトレードの企画によって、少しずつ活動の幅を利かせていった暁には…目標とするのはきちんと対応出来る人材のいる病院を秘境地域に作れたら…とか、そこまでの交通の便ももう少し改善すれば…とか…。
 
そして教育も色んな意味で考えていますが、そう思って地道な活動をしている側からまだ何も起こせていない切なさを感じる事が…
 
今日もまたインドサイドでは起こっているのです…。
 
といいますのも。
 
以前もちらっとお話した病気について。
今これを書いている現在でも私の義兄の子が病に苦しんでいます。
 
悔しいことに。
私の長女と同じ様に。
 
村で発熱し。
熱が頭に回ったのか…
 
左半身が麻痺し、
今はまだ食事もろくにとれない状態が続いているとの事なのです。
 
そんなコンディションですから、諦められて病院を退院させられたと聞いた時から、一刻も早く私達のいるリシケーシュに息子を連れてきなさいと言っていたのでした。
 
それなのに義兄は
「これはきっと何か悪い念の仕業だから祈祷をしなくては…」
と言ってきかず、
 
まだこれから更に寒く厳しい冬を迎えるというヒマーチャルに連れて帰ったのでした。
 
主人が祈祷は兄が受けるか家で行う様にして少しでも早く息子をこちらに連れてきなさいと説得しても聞かず。
 
最初は無理やりでもその子をこちらに連れて安全を確保してこちらで保護、管理、治療をしてあげたいという思いでヒマーチャルの村までその子を迎えに行くつもりで準備をしていたのですが、
「祈祷をすませたら必ず連れてくるから…」
 
という言葉止められて。
私達は日々心から心配しながらも待っていました。
 
今日来るのか?
明日来るのか?
 
幸いにも私達は現在、リシケーシュの仕事場としているアーユルヴェーダの治療センター内に住んでいるものですから、ここのドクターにもお願いし、その子が来たらすぐに診断をしてアドヴァイスか、可能であればトリートメントをすぐにスタートしてもらう様に…と。
 
受け入れ準備万端で待ち構えていたのです。
 
 
しかし、
 
昨日も来ず。
今日も来ず…で
日は過ぎていきます。
 
「寺に連れて行かなくてはならないから」
「家で大きな浄化のプジャをしなくてはならないから…」
 
 
そい言って義兄は聞かないのですが。
心配なのはその子のコンディションです。
 
義兄に聞いたら
 
「この子は大丈夫。すぐに良くなる。パンディットがそういったんだ。これは念の仕業だから、祈祷をしたからもう大丈夫」
 
というばかりで。。。
 
他の家族は心配して泣いて私達の所に電話をしてくるのです。
 
「ごはんも食べられないで、すっかり弱ってしまっている…」
 
と。
 
 
こちらで待つばかりでとても気が気ではないのに中々安全を確保させてくれようともしません。
 
また少し具合が悪いみたいだ…
 
と聞くと主人は
 
「だから早く連れて来いっていってるんだ!」
 
と怒りますが…
 
頑固な義兄が反対し続けているそうで
 
義父が電話でこう泣くのです。
 
「私も子供がとにかく心配ですぐにでもリシケーシュに行きたいんだけれど…私が村の近所の人と喧嘩したからその邪念のせいで子供に悪い病気がいったんだって、わしを責めるばかりで、リシケーシュに連れて行ってもしももっと具合が悪くなったら完全にお前のせいだぞっ!…って…」
 
義兄が言うそうなんです。
 
分かる気がします。
 
義兄は私よりも実は年下なのですが、見た目にはもうお爺ちゃん。
 
男の子を望んだばかりに7人もの子を作り、子にご飯を食べさせる為に働き詰めで子供の事なんて見るに見れないで10歳の子に3歳の子を見させている始末。
 
…ご自身は12歳で結婚してるんだから、まるでその子供の頃のままに子作りと村の仕事のみで暮らしてきた…。
 
言わばヒマラヤの原始人。。。そのまま。
 
私も以前からこの義兄には何を言ってもまるで通じない様な遠さを感じてはいました…。
 
こういう大人がいる事が特に大きな問題なんだよな…って。
 
低い教育の不幸の現われ…。
 
そんな人が身内にいるのに今の私には何にも出来ません。
 
 
ただ、その子だけでも助かればと祈り。
 
しつこく一刻も早くこちらによこす様に…と
しつこく。
しつこく。
 
言うしかないのです。
 
何かあったら…
それまでに周りがどう動いたか?っていう事で
その子の人生が決まってしまうのに…。
 
 
少しの間も私達のこの数日。
脳裏にはその子の心配ばかりでした。
 
そして昨日やっとこちらに来るという連絡をもらい、
「治療をこちらで受けるか?」
と確認をしたら
 
「いや、身のお清めの為にガンガーに沐浴させに来るんだ」
 
なんて言っていましたから。
 
私達は呆れて物も言えないとはこの事…と、
とにかく来てさえくれればドクターにもお願いして皆で説得できるかと…。
 
しかしそんな期待を持った今朝。
 
更に具合が悪くなったので病院に運ばなくては…
 
と、義父から一報。
 
 
血の気が引いたり…
 
腹ただしく…
 
悔しい思いです。
 
 
チャンディガルで見放されて…
 
少しでもケアを良くしてあげなくてはいけないところ。
 
父親は祈祷に走り…
 
左だけ麻痺していたのが今朝は
身体全身が硬直しているという。
 
 
誰の人生にも
タイミングっていうのがあるけれど。
 
大人達が子にベストな状態を作ってあげられなくて
どうして神に祈りを捧げられるものか?
 
 
神は祈ってくれたら良くしてやる
 
 
なんて思っているものではないのです。
 
神はその時に
 
「今どうしたらいいか?」
 
を自分に持つ強さ。
勇気。
判断の力。
 
 
それがどうでても。
他人に祈ってお供えして何とかしてもらおうというものではないのに…。
 
それが祈りではないのに…。
 
 
ヴェーダの知恵では、勿論狂ってしまった運命の歯車を良く戻す為のカルマの解消の方法を持つ。
 
でもそれは今すべき事から現実逃避する為のものではない。
 
村の彼らにいたってはそんなタントラでもなんでもなく、
人に神を宿らせて喋らせて祈祷する
自己満足。
 
 
 
そんな教育をしたいね…って。
 
主人とこの活動企画の行く末を夢見ている矢先に
身内でさえもそんな事に気がつかせてあげられない…。
 
まだまだ無力な自分達を感じたのでした。
 
 
また病院に連れて行ったって。
検査、検査にお金を要求されるだけなのにそこに舞い戻り…。
 
また祈祷でもするのでしょうか?
 
そんな義兄が私達の事だって
 
「一度も見舞いにも来ないで、なんて非常識な奴らだ!」
 
と怒っているなんて聞いたものですから。
 
私達はそんな事を言う彼自身が
なんて不幸なんだろうと
悲しく思うのでした。
 
 
今もただその子が心配なのと
 
義兄の様な人間はもっとこのインドの田舎には沢山存在する。
 
っていう大きな課題を見上げています。
 
立ち向かえるでしょうか?
 
でも。
 
立ち向かうしかないのです。

 
| フェアトレード企画日記 | 02:48 | - | - |

差別の為でなく役割を持つ社会【フェアトレード企画日記13】

また大きな問題の項目に 
インド特有の「カースト」という問題もあります。
 
初めてそんな言葉を聞いた時には実に嫌な感じがしました。
 
しかし、インドに過ごし、ヴェーダの知恵の中でのカーストの意味、必要性について学んだ時に、実はとても素晴らしい社会のシステムなのだとも知りました。
 
皆が皆、役割を持たずに好き勝手するとまとまらないものも、その役割「カースト」を持って一緒にこの社会を築く事によってまとまり、うまく行く。
 
だから本当はカーストは「縦」ではなくて「円」であるべきだという事です。
 
「一番上のカースト」
「一番下のカースト」
 
という言い方は本当は間違いであるべきなのです。
 
役割ですからパンディットであれ、ラージプートであれ、互いの為の役割を果たす為にそれ以外のカーストの人の為でなくてはいけないし、尊重、敬意を持っていなければなりません。
 
それが本来のカーストなんです。
 
役割を持つのはお互いの為。社会の為であるべきなのです。
 
日本だってそうですね。
 
士農工商。
でもその役割は社会の為。
 
士意外は普通は公平だとはいうけれど、
士だって社会の一部なんだから他あっての事と尊重すべき。
 
そういうのが本来のカーストなわけです。
 
しかし現代のインドにもそれはタブーでもあったり、
まだまだ根強く基本的な問題としてあったりします。
 
都会ではあまりこのカーストで間違った様な言い方をしたり、行いをしたら処せられるとも聞きました。
 
しかし、まだまだ都会でも結婚などとなるとこのカーストをとても重視するのです。
 
伝統を守る、仕事を守る。
 
そんな事も必要かもしれません。
 
でもそれが完全に「差別」として伝わっているところもあり、
「俺はパンディットだ」とか、「ラージプートだ」とか。
 
単なる生まれを誇りにして間違った使い方をしている人も沢山いるのです。
 
そういうヒマーチャルの私達の村もパンディットの村。
パンディット意外のカーストが住めない事になっています。
 
歴史的にはこの村のパンディットはいわゆる相談所。
困った事があったら占星術や祈祷、ハーブの処方、タントラの処方を受けにここに来たそうで、私の実家もヘビの解毒専門の祈祷知識を受け継いでいるといいます。
 
ですからどのカーストの人でもここに相談に来ていたのが元々だという事です。
 
しかし、
 
私達の村はまだそこまでではないのですが、もっと奥深いヒマーチャルの山岳の秘境の地に入ると、そのパンディットの村に他のカーストが足を踏み入れる事も禁じられているそうなのです。
 
聖域とでもいうのでしょうか?
 
かといってそんな凄い規律で血を守り、厳格にパンディットとして暮らしているかというとそうでもないのです。
 
単にそれを「プライド」として他を非難し、そこにお山の大将になって座っているだけなのです。
 
単純にパンディットの家に生まれたからといって、全てにおいて誰よりも優れていたり、偉いなんて訳ありません。
 
例えば私達もアシュラムの仕事として他の人の祈祷を行うという身分の為に、私達自身にどうしても破れないルールがあります。
 
例えば菜食でなくてはならないだとか、食べるものにも規制があったりします。
 
それは自分という一つの道具を正しく使って、エゴなどなく祈祷などをするという仕事に身を置いているルールなのです。
 
簡単に言えば、製品を作る機械を購入したけれどその機械に入れなくてはいけないその機械をより良く動かす為のオイルがあったとします。しかしその機械に合っていないオイルをインチキして入れたら機械は動いてはみるけれどきちんとした製品を作る事が結局できません…。
 
という事なのです。
 
だから祈祷などをするパンディトは自分次第ではなく、他人の為に身を置いているものなのです。
 
そんなルールを守っているパンディットであっても、お寺に入る人にただ偉そうに大して口もきかずにそこに座っているのは間違いなのです。
 
お寺に来る人のお世話を、誰であれ行わなくてはならないのです。
 
ところが、パンディットは他人の靴にも触れない。他人の食器にも触れない。他のカーストの家のごはんは食べない…。
 
という過剰なルールを持ってしていたりします。
 
それが祈祷をする様なパンディットでなく、「単にパンディット」であってもそうなんです。
 
私の主人も祈祷をするパンディットでありますが、この人、少し変わっていましてそういうのが元々嫌いな人なのです。
 
主人がとあるハリジャンのカーストの村での祈祷を頼まれた時の事。
勿論喜んで引き受けて祈祷をしてきましたが、後からその村の人達が恐る恐るお供物を持ってきて言いました。
 
「パンディージー、私達の手で作ったご飯など食べないと思うけれど、よかったらもらって下さい。」
 
主人が喜んで頂くと村人達は
「変わったパンディージーだ。こんな人は初めてだ!」
ととても喜んでくれたそうなのです。
 
私なんかからすると、何が変わっているの?
と思うのですが、実際はそうなのです。
 
アシュラムでも建築工事の職人、ワーカーの殆どはハリジャンのカーストです。
お昼を一緒に食べる事も普通は無いそうなのですが、主人がそれを嫌うので皆一緒に食べています。
お皿もそのハリジャンのカーストの人は自己管理、私達と同じところでも洗いませんし、自分で洗って管理していました。
 
正直、そんなのまた面倒だし、と、私達は自分の使っている食器でも彼らに食事をよそっていたのですが、それを他のパンディットが見ると大変怒られました。
 
主人でさえ、プジャリでさえ「いいじゃないか」と同じように接して食べているのに、そうでもない、名ばかりのパンディットほど「ハリジャンと一緒に食べるなんてとんでもない」
とやたらと嫌い、怒るのです。
 
何か汚いものでもあるまいし。
 
そう思うのが普通なのですが、ここでは普通ではありません。
 
長年一緒に仕事をし、一緒に食べているのですから主人としては彼らの作ったご飯に誘われれば生きたいところなのです。
 
しかし驚いたのが、ハリジャンの家に時々パンディットが食事にと誘われる事はあるのだそうです。これはバンダーラーとも言って、ブラフマンカーストの人に食物をお布施するという一つのカルマの儀式なのです。
 
え、じゃあ、カーストの違う人のご飯も食べるんじゃない?
 
と思っていましたら、なんと、その家に食器持参で行って、ブラフマンがその家のキッチンで自分で食事を作って食べる…そうなのです。
 
しかも食べるのはブラフマンカーストが先で、残ったものをハリジャンが食べるというのです。
 
うわああ、シチメンドクサイ…。
 
ですから私も色々なアシュラムのルールというのを体験してきましたが、正直とってもシチメンドクサイ事がいっぱいです。
 
ええい!人類皆兄弟!とはいかんのかね??
 
役割は大事ですが、差別に何の意味があるのか?
 
インド人としては変わり者の主人は実は皆に内緒に出来る時はハリジャンの作ったご飯でも喜んで食べます。
 
彼曰く。誰が作ってもお供物はお供物なのです。
お供物に綺麗も汚いもありません。
ありがたく頂くのが正解なのです。
 
うん、納得できる。
 
でも、そんな主人は変わり者です。
 
 
さて、正しい意識を持って教育すべきところ、
それを現代のインドの学校でもきちんと教えられていないのが現状なのです。
 
私が知っているリシケーシュの学校の先生。
子供達に教育している先生でさえ、何の悪気もなく
「俺はパンディットなんだからハリジャンの村には行かん」という事を平気でいいます。
何がパンディットだか、特に祈祷している訳でもない…ところか、家で毎日のプジャをしているとも聞いた事はありません。
 
おまけに酒も飲むし、チキンだって大好物。
 
だったらいいじゃないですか?普通のおじさんで。
 
それをわざわざ「俺はパンディット」という意識でものを見ているのには少し引け目を感じます。
 
でも仕方ない。
これも彼のせいじゃない。
 
社会のせい。
 
元々の教育のせいなんです。
 
彼の子供もいつの間にかその間違った意識を学びとってしまい、
何の悪気もなく他のカーストを見下しています。
 
ちょっと家の先まで一人で歩いて行く事が出来ないっていうので、丁度そちらの方向に同じように行く子達と一緒に行きなさいなと言いますと。
 
「無理っ!あのカーストの子達と歩くなんて、あり得ない!」
 
と、わがままこくのでございます。
 
 
その他の場面でもやたらとカーストの差別意識が10歳そこそこのその子供にまで染み付いている…。
 
これは問題です。
 
悪気があっての事でなく、親を見て当然にそう思うのでしょうから。
 
そして、ハリジャンの子達はいったいどうかといいますと、これまた10歳そこそこにして、自分でわきまえているのです。
 
なんていう悲劇。
 
生まれだけでこんなに差があるなんて…
 
私としては大人がどうこう言うよりも、子供達の自然なこの差別を見て痛く感じました。
 
私達のヴェーダの師匠に。タブーかなと思いつつ聞いてみますとこう言います。
 
「本当のカースト制度について知るにはヴェーダを勉強すべきだ。差別でなく、役割だという事を知り、私達パンディットが偉いのではなく、その他の役割の為の道具だという事。だから、そのルールに身を置いているだけであり、お寺を訪れる人々をこちらがリスペクトすべきなんだ。」
 
素晴らしい。
 
そんな教えがきっと曲がって伝わってしまったのでしょうね。
 
私なんて言ったらカースト外。
 
それでもその私達の師匠も私を歓迎してくれているのです。
 
私の作ったご飯も喜んで食べてくれますし、外国にもこの知恵が正しく伝わる事を望んでおられます。
 
シンプルで素晴らしい師匠だな…と思ったら実はこの師匠。
ネパール人…。
 
ってところがまた微妙に
 
やっぱりインド人の思考で言うと彼もまた変わり者なんでしょうかね???
 
でもそんな私達の大好きな師匠がインドの聖地でインド中からパンディットの勉強をするのに訪れるとても名のある優れた教師である事を嬉しく思います。
 
ネパール人であれ、ヴェーダの正しき教え。
頑張って新しい世代のパンディットにも伝えて行ってもらいたいものです。
 
私も一日本人。パンディットアニとして…正しい知恵の伝承のお手伝いをさせてください…。

 
 
 
 
 
| フェアトレード企画日記 | 03:00 | - | - |

インドの女性に対する意識とは?【フェアトレード企画日記12】

モラルの教育というのは何を基準に「モラル」とするかというのが問題です。
 
所変われば文化も変わります。
 
私達から見て普段インドのこんな所がおかしい…
と思っていても、
 
長年インドに住んで分かった私達の国、または西洋の文化の
「おかしなところ」も見えてくるのですから。
 
しかし。
 
そうも言っていられない、正したいインドの「モラル」もあるのです。
 
 
例えばインドでは妊娠中にお腹の子の性別が分かっても男の子か女の子か最後まで教えません。
 
教えるとドクターが罰せられる事もあるそうです。
 
なぜかというと。
 
やはり「女の子」が望まれていないという理由で女の子と分かったら中絶してしまう事がこれまであったからだというのです。
 
性別が分かる頃の中絶するのは母体にとっても負担ですし、既に完成しつつある命を絶つのですから処せられる行為になるのです。
 
ですからインドでは生まれるまで性別は分かりません。
 
私にとってはどちらでもいいにはいいですが、もしも事前に分かっていたらば赤ちゃんの服やおくるみの色なんかも考えられるわけでして、是非とも知りたいものでした。
 
インド人の言う理由も分からなくもないです。
 
「女の子はいずれ嫁に行ってしまう。」
「女の子の結婚には嫁入り道具に持参金に…お金が沢山かかる」
 
「それより後継ぎが必要だ」
 
 
というのも分かります。
 
でも、子はどちらでも可愛いものです。
 
今の世の中、
男が必ず家を継ぐともインドでも限らなくなってきています。
 
私達のヒマーチャルの村では特に、女の子は高校程度まで学校に通わせて少しでも学歴があればすぐに嫁に出すのが今でも普通です。
 
良くてカレッジまで。
 
就職とか、大学とか、あまり考えません。
 
それよりも少しでもいいところに一早く嫁に。
 
今最近はまだ学校に通うようになりましたが、少し前までは12歳くらいで嫁に出す事もありました。
 
その結婚の決め方も聞いていると何だか…
 
家畜の取引か、家政婦の派遣…です。
 
 
畑仕事に牛の世話に、家事もこなせる女性であれば子供でもいいわけです。
 
本人同士の意思でなく。親が相手の収入や持ち土地を見ます。
 
家族の絆が新しく出来るわけですから、困った時はお互いにサポートし合えるだけの取引が成立できる家かどうかを見るわけです。
 
正しいと言えば正しいのですが、
私の主人の妹の件では私は反発しました。
 
まだ子供の頃から結婚の約束をした相手が義妹にはいたのですが、本人の意思でもっと勉強して就職をし、人生の経験を得たいという希望を叶えようと、私達のサポートで都会に降りて来て学んでいました。
 
ですから結婚の約束は口約束でしたが、今は結婚の事は考えられない…。と縁談を断る事になったとたん、相手の家族が実家に押し寄せてきてこう言ったそうなのです。
 
「私の息子は都会で一人暮らしをして働いているんだから、皿や服を洗う人がいなくて困っているんだ。早くあんたのところの娘をよこしなさい。勉強させて何になるんだ?」
 
 
…って。
 
「ウチのアニタは家政婦じゃないっ!」
 
何にもならなかったとしても、彼女の人生。
しかもまだ20歳にもならない頃の事。
 
でもそんなのこちらでは普通の話しで、私がおかしいのです。
インドの田舎では。
 
嫁を道具と思って何が悪い?
 
だから道具には勉強なんていらない。早くその役目を果たしてもらえればそれでいい。
 
だから女の子が生まれると皆
「残念」に思うのです。
 
どうせ売りに出す牛か…
先行投資の要る家政婦なのですから。
 
 
分からなくもありませんが、それにしても子は子。
男の子でも女の子でも可愛いものです。
 
愛しさに変わりはないはずなのです。
 
しかし私も二人の娘の親として
インドではこんな体験をしました。
 
最初の子が生まれた時も、下の子が生まれた時も
「どっち?」
と聞かれて
「女の子」
 
と言うとたいていの人は一瞬間を置き、
「…まあ、いいじゃないか。女神が家に来たと思えば」
 
…って、「まあ、」って何???
 
「まあ」じゃなくて
すんごく喜んでいるんですけど???
 
こちらが喜んでいるのに、何だか勝手にお悔やまれたっ??
 
後味悪いお祝いをされるのです。
 
良くてそれ。
 
で悪いとあからさまに
 
「あ〜あ、残念。余計な金がかかったね。」
 
…って?
なんてデリカシーの無いっ!!??
 
二人目が生まれた時もわざわざお祝いの電話をくれたかと思うと
 
「あー、本当に無駄だったね。あなたの努力もお金も」
 
って???
 
こちらがそんな気持ちでない事をそんな風に言われると腹が立つどころか、何て非常識なんだっ!!??
 
と気持ちが悪いのでございます。
 
しかし、彼らには悪気はなく。
 
これがインドの常識なのです。
 
きっと少し前の日本でもそうだったのかもしれませんが、
命の尊さを持っていればそんな言葉がお祝いで出るとは思いません。
 
でもこれもまた深い、深い問題なのだろうなと。
私みたいな外国人が何だかんだ言っても通じないんだろうなと…。
 
でも、希望が沸いた事があります。
 
私達がお手本にしたいハリドワールの大きなアシュラムの教育項目の一つに、その男尊女卑についての教育もしっかりと入っていました。
女胎児の中絶、女性非難、幼い女子の婚姻、女子の売買などを反対し正しく教育するトピックがあるのです。
集団社会の本当の知恵を持って、きちんとした社会の知恵を持って生きる事。
それがヴェーダなんだなと確信しました。
 
だから私達もヴェーダ伝承のアシュラムとして。そんな間違いを正す活動もきちんと行いたいと心に思うのでした。

 
 
| フェアトレード企画日記 | 00:23 | - | - |

モラルの基準【フェアトレード企画日記11】

命に対する教育。
それも大きなテーマだと思いますが。
私達外国人が「あたりまえ」に思っている事でも
インドでは違う「あたりまえ」がって
 
それを変える事はとても難しいものであり、
 
または中途半端にそのインド側の「あたりまえ」を問題として指摘する事も問題かと思うのです。
 
根深い意識の違い。
文化の違い。
 
差別や男尊女卑。
 
私達からしたらのモラルとインドのモラルは違います。
 
一概に、全て間違い
 
という様な指摘は出来ませんが
 
その中にある本当の問題を正す事はとても大事だと思うのです。
 
なぜならば別に彼らは悪気を持って差別などをしているわけでもないのです。
 
そういう教育の元に育ったからなのです。
 
同じインド国内でもある人種差別。
 
カースト問題。
 
女子、女性の扱い…。
 
こうして長くインドに住んでいると毎回そんな場面に講義する訳にも行きませんから「いつか、何とかしたい…」と思いつつも黙ってしまわなければならないのです。
 
悪気なく、インド人が侵す「間違い」は当人達には「間違い」ではないのですから。。。
 
そんなインド人達の中で過ごしていて、とても辛い事も沢山ありました。
 
例えば私が学生でインドに住んでいた時にお世話になっていた家がある。そこの家族はとても気さくで私が外国人だからとって何か特別要求してくるでもなく、逆にご飯をいつも食べさせてもらっており、私にとってもインドで一番落ち着く家、そして向こうも私を娘と呼んでくれていました。
 
普通の家族で、口うるさい事いわずにあたたかく見守ってくれる素敵な家族。
 
そんな風に常に一緒にいる安心感を持っており、独り立ちしてインドの一人暮らしをしていた時も時々実家の様に帰ってのんびりした休日を一緒に過ごしたものでした。
 
そんな暖かいかぞく、インドのお母さんっ…
 
 
とある日の事、私が学生の時、デリーで研修を受けた時に出会ったクラスメイトがバンガロールからリシケーシュに遊びにきてくれました。
南インドの大都市のヨーガ学校で講師を務める、インドにしては中々トレンディな感じの南インドの子です。
 
ヒンディも英語も上手で…なんといっても話しのコモンセンスが近い…といいますか、普段のインド人との会話の様に何かこちらが一歩譲って、、、控えて合わせて喋っている…っていう感覚もなく、同年代のいい友達です。
 
今時のファッションで色使いも上手。南インドらしい感じの子です。
 
大好きな友達ですから、せっかくリシケーシュに来てくれたのだからと私のインドの実家に連れて行く事にしました。
 
インドの家族に紹介します。
 
「私の大好きなバンガロールの友達です」…って。
 
で、リシケーシュの家族もチャイにお菓子にとおもてなししてくれて一緒に和やかに過ごしました。
 
そしてその友達がバンガロールに帰った数日後にまたその実家に行った時の事です。
 
家族揃っての話題はこれ…。
 
どうしてあんな黒いのと付き合っているの??
一緒にいて恥ずかしくないの?
南インドの人って本当に黒くて嫌っ。
あなたの部屋に泊めていたの?
荷物とか取られなかった?
 
 
…チャイを飲みのみ…
家族皆が言うものですから…
 
フォローする事もできずに私、
苦しくなってチャイを持って庭に腰掛小さく泣きました。
 
言い返す事も出来ません。
 
普段とてもやさしい、とてもシンプルな家族がそんな事を言うのも
彼らが「悪い」からじゃないという事がその場で分かったからです。
 
「教育」が間違っている。
 
私がここで反発してもまったく意味がないのだろうと
物凄く遠い問題を感じました。
 
日本では学校で習ったから、
私達は知っているのでしょうか?
 
社会科の時間で?
道徳の時間で?
 
いいえ、それ以外に私達の意識の中で
 
どれかが綺麗でどれかが汚いなどという
人間に関しての評価が無いのです。
 
きっと少し前の日本にも勿論あったと思うのです。
 
差別など。
 
しかしいつの間にか普通に無くなった感覚。
 
人類を尊重するモラル。
 
色んな美しさを見つけ出せるセンス。
 
それはきっと時代が作り出したのかもしれません。
 
だから、私がここで叫んでも
 
おかしな人だと思われるでけなんだと思います。
 
そこの家の長女の旦那が
肌が黒いのを気にしていつもテレビで見るきゅうりパックなんかを試みています。男性にも「白くなるクリーム」的な化粧品がうけていて、毎日一生懸命洗顔の後に塗っていました。
 
それでもあまり効果を感じられなかったのか、
「日本人みたいにどうしたら白くなれる?」
と私に聞いてきます。
 
 
血の問題だと思うよ。
 
でも少しでも何とかしたかったら、せめて唐辛子と塩控えたら?
 
 
これはあなたの国のアーユルヴェーダの知恵ですよっ!
 
それよりも、ありのままの自分を受け入れて愛してくださいなっ。
 
こんな滑稽な話し、いくらでもあるのでもう私もショックも受けませんが、聞かない様にするしか今はありません。
 
深い、深い問題です。
 
時が解決してくれるかもしれませんが、
時を私が起こすというのも
 
ありかと思うのでした。

 
 
| フェアトレード企画日記 | 00:19 | - | - |

信仰という問題【フェアトレード企画日記10】

 
さて、そんな問題だらけの医療問題。
フェアトレードで村との交流もはかり、色々な活動支援が出来る暁にはこんな事も計画したいのです。

 
結局全てに必要なのは教育、指導になってくるのでしょうが、田舎の一般市民には色々な観念を教育する必要もあるかと思います。
 
長女の病気の時もそうでしたが、最近の兄の息子が病気のまま無理やり退院させられた続きもそう。
 
麻痺が残っていて座ることも出来なくなってしまったのですからマッサージを少しでも早く始めた方がいいわけです。
 
病院を出されたといってまたヒマーチャルの村に帰るというのもとても心配でした。まだ食事もまともに取れない、そして寒くて普通の子供でもケアに大変な環境のヒマーチャル…。
 
ですから私たちは一刻も早く現在私たちが住んでいるリシケーシュに子供をつれてくる様にと兄に説得しました。
 
しかし、兄も父もこういうのです。
 
「まずは村のお寺に子供を連れて行かなきゃ…」
 
分かる。
 
信仰は分かるけれど、事をもっと把握してほしい…。
 
神様を崇めるよりも、子供の安全確保でしょっ!!
 
 
インドでは病気などの際には、単に病気に掛かったというよりも、誰かの悪い念に掛かっただとかと解釈する風習がまだ、田舎の方には根強く残っています。
 
以前もブログにちらっと書いたのですが、以前私が日本に暮らしていた頃、まだ17歳くらいだったインド人少年S君。
 
仕事をするのに日本に連れられて来たのに、仕事にありつけず、途方にくれて私を頼って来ていました。
 
知り合いのインド人から「あそこに行けば何とかしてくれるから」って聞いてきた…と、ボストンバッグを抱えてある日突然やってきたのでした。
 
ヒンディー語が出来るってだけで、大して何もしてあげられなかったけれど、それでも約半年私の家に居候して頑張って仕事をしていたのですからちょっとした息子の様なものでした。
 
そのうち、私もインドに移住し、彼はきちんと仕事にもありつけて定着し、インドの田舎に一度帰って結婚もして子供も出来た…って。風の噂に聞いていました。
 
ところがとある年。そのS君が亡くなったと聞いたのです。
 
何で!
 
ショックを隠せませんでした。
 
ある時、数年ぶりにS君はインドへ里帰り。
インドに基本おいているお嫁さんにも会えて子供にも会えて…
それはそれは楽しい一時帰国になるところでした。
 
彼はリシケーシュから3時間ほど山岳に入った村の出身でしたから、まあ、ヒマーチャルとあまり変わりのない環境でしょう。
 
その帰国中にインフルエンザに掛かってしまったらしく、最初は軽く熱だけだったのですが、病院に行こうともならずに家族がこう言い出したそうなんです。
 
「祟りじゃ!!日本でずっと暮らしていてきっといつの間にか悪いものを食べたりしているに違いない。そんな悪さをデブタ()が許されないのじゃ!お怒りになっておられるのじゃ!」
 
そして更にエスカーレトし…医者を一人も呼ばずに祈祷師を呼び
 
「これは悪い念じゃ!日本で稼いでいるのを羨む村の何者かの念が苦しめておるのじゃ!」
 
 
となり、祈祷が始まったそうな。
 
 
そして、祈祷のかいないか・・・祈祷の途中にとうとう息絶えてしまったのだと聞きました。
 
 

 
  • ・・・そんな。
 
 
もしも少なくとも病院に連れて行っているとか、日本に連れて帰っていたら…助かっていたかもしれないのに…。
 
 
と、彼を知る人は後からそうこぼすのでした…。
 
いくらなんでもやりきれないお話しですが。
 
インドの田舎では、今でもそんな神信仰が強く、何かにつけて祈祷、祈祷と騒ぐのです。
 
私たちも祈祷師では実はありますが、ヴェーダ祈祷を行っている私たちとはまた少し違うものと思ってください。
 
神信仰の祈祷はどちらかというと、神を恐れてお供えする、いけにえまで出して神に、助け、お許しこうむる…という様な。
 
まあ、あるようで、まあ、ほどほどにしてほしい様な信仰なのです。
 
自然の神などを尊とむ気持ちなどはいいのですが、恐れて信仰し、何かある度に祈祷しなくてはならないなんて…。
 
それよりも命の確保にもっと最善を尽くす事も可能な瞬間を判断すべきかと…。
 
 
これまた意外と手ごわい問題なのです。
 
実は、私の時もそうでした。
 
下の子の出産前に。
色々な悪条件が揃って心身的にストレスを覚え、妊娠中毒症にかかってしまった時の事ですが、私自身、身体のむくみだけでなく、強いめまいや、息のくるしさ。
時々ふっと気が遠くなる感じを繰り返し感じ、「死」の危機を感じて一刻も早く山を下りたい…と願い出た時の事。
 
実家でその神を呼ぶ祈祷を行う日でしたしたので、私の体調が悪かろうが何だろうがとにかく実家に来て祈祷に参加しろとの事でした。
 
勿論、自分の危機を察していたものですから、そんな事言っていられません。祈祷への出席を断って車を呼び、急いで全て荷物を持って良くて入院か、悪くて病院まで無事にたどり着けるか…という所で山を降りる準備をしていました。
 
さすがにこの危機。家族も理解してくれるだろうとおもっていたのですが、父も兄もそれよりも祈祷だろうが!なんて嫁だっ!?
 
と、反対し怒っていた様です。
 
案の定街の病院にたどり着いたら即入院。よく生きてここまで来たものだと言われたくらいでしたが、村では祈祷に出ないで村を出てとんでもない奴らだと相当非難されていたとの事を聞き、
「ああ、そうですか?祈祷に無理に出てその場で死ねばよかったのね!」
 
と。
 
切ない気持ちでした。
 
私たちも伝統医学のアーユルヴェーダに関わっていますが、色々な医学、医療のいいところを活用するのが大切で、西洋医学だって緊急処置には欠かせないところがあるのです。
 
西洋のもの。新しいものを嫌うが余りに悲しい結果になってしまっている事も沢山あるのです。
 
全てはバランス。尊重のし合い。上手に輪になって活用する事。
 
それが本当の知恵の社会ではないでしょうか?
 
偏ったそんな古い信仰。
それもいいところもありますが、時にとんでもない悲劇を招くのです。
 
だって、私の主人、6人兄弟ですが…。
 
本当は11人いたのですから。
 
一昔前まではほぼ半分の確立で命は保たれていた。
 
人々もそれくらいにしか思っていないところがあるわけです。
 
この文化的な教育。
 
外国人が行うのは間違っているかもしれません。
 
ですから本当は自信がなかったのですが、私たちの常にお世話になっているとあるハリドワールのヴェーダアシュラムでは、そんな古い間違った信仰を正す活動などもしていると聞き。。。
 
ああ。やっぱりそうなんだね。と一安心しました。
 
やはり、インド人の本来の知恵の伝道者にも力をお借りして…正すところは勇気をもって正さにゃいかんのです!

 
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